【緑山霊園】お盆慰霊法要が営まれました
平成28年7月27日(水)午後1時より緑山霊園にて、合同慰霊法要が執り行われました。120名程の方が参加され、法話に元大本山總持寺後堂 盛田正孝ご老師。法要に法昌寺 山下玄機ご住職をご導師としてお迎えし、無事法要を終えることができました。
~盛田正孝ご老師の法話~
お盆のはじまりは『仏説盂蘭盆経』(ぶっせつうらぼんきょう)という経典に書かれている、目連尊者が母を救う話に由来します。お釈迦様の十代弟子の1人に神通力を得た目連尊者という人がいました。目連が神通力を使って亡くなった母を見ると、悟りの世界にはおらず餓鬼の世界にいる姿が見えました。そこで、どうしたら母を救えるかお釈迦様に相談したところ「目連の母が餓鬼道に落ちてしまったのは、生前物惜しみをして、他人に施しをしなかったからである。母を助けたかったら3ヶ月の修行の最後の日である7月15日に大勢の僧侶に食べ物や飲み物を供養し、布施をし、苦を払うための回向の法要をしなさい。大勢の僧が唱える回向の功徳によって、母だけでなく、他の亡き人々も救われる。」と答えられました。お釈迦様の教え通りに供養を行うと、目連の母は餓鬼道の苦しみから解放されることができました。
この話から、私たちは2つ学ぶことができます。
1つめは、「自分さえ良ければ良いという考えは間違い」ということです。今回の法要は、すべての霊に対して供養することの大切さを示す三界萬霊を兼ねています。自分の先祖の法要だけでなく、子孫がおらず法要ができない人の供養も行います。自分だけでなく、すべての方が救われるよう願って法要に参加していただければと思います。
2つめは、「供養の大切さ」です。亡くなった人のことを「思っている」とは言っていても、「思い・思いやり」は色も形もないものです。そのため、私たちはお葬式や法要といった形あるもので表していかなくてはなりません。私たちが亡くなった人にできることは供養だけです。
もうすぐお盆の季節になります。お盆は、亡くなった方へのご供養だけでなく、私たちが生きていることの尊さも再確認できます。受け継がれた「命の大切さ」について、家族で語り合ってみてください。